知る

“パラ陸上の鉄人”永尾嘉章が語る②「パラリンピックでの挫折と栄光」

※公開時点(2021.9.2)での情報です。

●永尾嘉章氏のインタビュー動画(06:56)

パラリンピックで日本人最多の7大会出場を果たした元選手がいる。兵庫県三木市出身で、車イス陸上の元選手・永尾嘉章氏だ。競技生活30年をトップパラアスリートとして駆け抜け「パラ陸上の鉄人」と呼ばれた永尾氏に、パラリンピックでの経験を振り返ってもらった。

―競技生活が始まって、その中でも壁に当たることもあったかと思います。

永尾 勝つことばっかりじゃないんですよ。やっぱりレベルが上がっていけばいくほど相手も強くなるし速くなる。。なかなか自分が思ったような結果が残せなくなるんで。ひょっとしたら悔しい気持ちの方が多かったかもしれないですね。でもやっぱりその悔しさが逆にエネルギーになって、何か怒りにも近いような感じにもなってね、「これだけ一生懸命やったのに勝たれへんのは、おかしい」と。そうした怒りがもっと速くなりたいという気持ちに変わっていきましたね。

―悔しさと怒りがバネになり糧となり、初めてパラリンピックに出場されたのが1988年のソウル大会ですね。そして1996年アトランタ大会では僅差で4位にまでなったと。

永尾 当初はなかなかメダルに届くような位置に行けなかったですね。出場してもその他大勢みたいな感じで。でもアトランタの時には、自分の中でもようやく実力がついてきたなという気持ちはあったんですよ。内心。で、アトランタ大会では絶好調で、もう自分の記録をどんどん塗り替えていくんだけど、それでもやっぱりメダルに届かなかった。200mなんか本当にわずかな差で4位になってしまった。これが限界かなとも思ったけども、それ以上に、やっぱりもっと強くなってメダル獲りたいという気持ちが強かったから前に進んでいけましたね。

―ただ、次のシドニー大会では背中の筋肉が断裂するという、大けがを負ったそうですね。

永尾 アトランタのときに本当に悔しい思いをして、もうああいう悔しい思いしたくないと思って、必死に取り組んだんです。それでこれまでにないぐらい絶好調な感じで仕上がったんですよ。練習しててもすごい記録がどんどん出てきて、「今度こそ本当にメダルを取れるな」と思って迎えたんですけども、調子のいいときほど、落とし穴がある。ウェイトトレーニングをやっていて、調子がいいもんだから、「もっと、もっと」ってやるんですよ。そして、もうやめときゃいいのにもう1回とやったところで、背中の筋肉を切っちゃったんですよ。

「あの1回、やらんかったらよかったな」と今でも思います。あの一回がなかったら本当にシドニー大会でメダル取れたかなっていう気持ちやっぱあります。

―そこから必死にリハビリをして大会には出場されました。ただここで200mと400mの日本記録を樹立というこれはすごく嬉しいことだったんじゃないですか。

永尾 びっくりしましたね、正直。スピード的には怪我をする前と同じぐらいのスピードが出てたかなと思うんですけど、まさかそこで日本記録を出せるとは思ってなかった。

―そしてその次2004年です。こちらのアテネパラリンピックの4×400mリレーで銅メダルを獲得されました。やっとの思いでつかんだメダルですね。

永尾 実はねシドニー大会もリレー出てるんですよ。そのときは、僕が原因でリレー失格になってるんです。バトンタッチのときにちょっとミスがあって、他のチームの邪魔をしちゃったんですね。それで日本チームが失格になったんですよ。そのとき悔しい思いをして、もう1回リレーで頑張ってみたいと思って臨んだのがアテネ大会だったんですね。

ーとなるとなおさらに、銅メダルの喜びはひとしおでしたでしょう。

永尾 そうですね。予選でもすごくいい記録で走ることができて、日本が1位通過だったんですよ。僕の競技人生の中で本当に目の前に金メダルがぶら下がっている状態で走ったのは、このレースだけです。あのときを金メダルを意識しながら選手村を出て、バスの中でレースのいろんなことを考えながら移動する時間っていうは、ものすごく充実していたのを覚えてます。

―さらにすごいと思うんですけど、2015年まで長尾さんはご自身の記録を更新し続けたんですよね。

永尾 そうですね、100mの日本記録を出したのが結局2015年ですから。前の日本記録を達成したのが2000年で、その記録を15年後に抜きました。もう本当にずいぶんかかったなという感じですね。

―その頑張り続けられるモチベーションの根っこにはなにがあったんでしょうか?

永尾 よく聞かれるんですけどもね、やっぱり自分的にはなかなかうまくいかないけども、どうにかしたら何とかなるんじゃないかなっていう、そういう気持ちを持ち続けることが大事だ思います。うまくいかないということが自分自身の中で怒りに変わっていって、それがエネルギーを生む。ですので、自分はもっとできるんだと信じながらやることも大事だし、あと長いことやってくれば体力的なものも衰えもありますから、その部分との向き合い方も大事になってくる。

常に自分自身と正面から向き合って、自分のことをよくわかろうとする気持ちを持ち続けられたことが長くやれた理由の一つと思いますね。

<永尾嘉章氏プロフィール>
兵庫県三木市出身。30年間にわたって日本のパラ陸上界を引っ張ってきた「鉄人」。パラリンピックには1988年のソウル大会から2016年のリオ大会まで日本人最多の7大会連続出場。アテネ大会4×400mリレー銅メダリスト。

放送/ラジオ関西「PUSH!」2021年8月25日OA
インタビュアー/津田明日香

※掲載情報は2021年9月2日現在の情報です

VIEW ALL