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東京でとれなかった金メダルを神戸・パリでつかむ

※公開時点(2021.10.30)の内容となります。

●大矢勇気氏のインタビュー動画(07:37)

東京パラリンピックの陸上男子100メートル(車いすT52)で銀メダルを獲得した大矢勇気氏。車いす陸上に出会って15年。念願のパラリンピック初出場での快挙だが、視線はすでに、来年の神戸2022世界パラ陸上競技選手権大会やその後のパリパラリンピックでの金メダルを見据えている。神戸大会まで300日を前に、いまの思いを聞いた。

 

―まずは、東京パラリンピック男子100メートル(車いすT52)での銀メダルおめでとうございます!

ありがとうございます

―とはいえ、金メダルを目指してこられたわけで、正直、悔しい思いもおありですよね

ゴールした瞬間はすごく悔しかったです。ですがレースが終わって表彰式でメダルの重みを感じているうちに、ここまで東京大会に向けて頑張ってきたということで、悔しい気持ちから嬉しい気持ちになりましたね。

―今回、大矢さんのタイムは17秒18。スタートから終始レースをリードしましたが、最後はアメリカのマーティン選手に抜かれての2位でした。

僕はスタートが得意なのでロケットスタートをきめて、そこから更に加速をしていって、後半からはスピードを維持するという先行逃げ切りというようなスタイルでいつも挑んでます。今回もスタートは決まったんですけども、雨が土砂降りだったこともあって加速がうまくいきませんでした。自分の技術力の未熟さが敗因だと思います。

スタジオで話す大矢勇気氏

―きょうは普通の車椅子でおこしいただきましたが、レースの車椅子は全く違いますよね。そもそも車輪の数が違う。普通の車いすは4輪ですが、レース用は3輪ですね。

車で言うと、レースの車椅子はF1のフォーミュラカー。生活の車は乗用車のような感覚ですね。僕のT52クラスというのは腹筋とか背筋などがあまり使えないクラスでして、そこででも指の曲げ伸ばしなどもできないクラスです。常に腕でしっかり漕がないとといけないのでパワーが必要になります。特に100メートルはスタートで出遅れてしまうと勝てないので、すごいシビアなレースです。

―大矢さんのクラスを「T52」とご紹介したんですが、Tはトラックだと思うんですけど、後ろの数字は???

前にあるTはトラック競技で、フィールド競技はFがつきます。後ろの数字は、二けた目(10の位)は障害の種類を、一けた目(1の位)は障害の程度を表します(0~9で、数字が若いほど重い障害のクラス)。僕の「T52」だと、50番台は「脚長差、切断、関節可動域制限などの障がいのある車椅子や投てき台を使用する競技者」で、上から3番目に重たいクラスになります。

競技用車いすで練習中の大矢勇気氏

―その大矢さんが車いすでの生活となったのは16歳のころだとお聞きしました。

当時、僕は定時制高校に通いながら、朝から夕方まで仕事しました。兄弟で同じビル解体の仕事をしていて、ビルの8階で水まきをしていたところ足を滑らせて、あっ、と言った瞬間に意識を失って起きたら病院で横になっていました。

―ちょうど8階から落ちたってことですか。

足場にぶつかりながら落ちたそうです。

―もし普通に落ちてたら、、、、、、、

もう即死って言われてましたね。

―その足場があったから助かったわけですか。

ですがその足場にぶつかったことで脊髄損傷して、車いす生活なりました

―そもそもパラスポーツに出会ったきっかけは?

最初に出会ったのは車いすバスケットだったんですね。当時リハビリ中で、たまたまテレビを見てまして、そのチームが家の近所にあるということで入部しました。ですがそのチームも人数が少なくなって解散してしまい、そこから3年間は競技からは離れました。
で、2005年に当時通っていた障害者作業所の同僚に、「兵庫県の障害者スポーツ大会があるから楽しむつもりで参加してみないか」と誘われて、僕も軽い気持ちで参加しようかなと。

―その楽しむ程度で、という気持ちが、銀メダルに至るわけですが、そこまで続けられた魅力ってなんですか?

競技車いすはその角度でだいたいキャンバー角(後輪の角度)を立てることで推進力を増したり、地面との抵抗をなくす工夫をしたりします。また後輪についた「ハンドリム」という漕ぐための輪の大きさでも変わってきます。そこを考えて走るのが面白いのと、あと車高が低いことによるスピード感、臨場感が楽しいです。そして練習すれば記録が伸びていく。それが車いす陸上の魅力だと僕は感じます

―ちょっと上腕部を見せてほしいんですけど、、、、、、やっぱりすごい太いですね!

ーオリンピックの場合はもう30代後半となると、もうかなりベテランというか、体力的にはピークを超えてくると思うんですけど、パラリンピックを見てると、40歳になっても50歳になってもどんどん強くなっていきますよね。

僕の個人の考えでは、10代20代は常にレースの経験をする下積み時代ですね。そこから30代から漕ぎ方や細かい技術力を学んでいって、そっから進化して伸びていくイメージです。パラリンピックはもう本当に30代から50代後半の方もいらっしゃいますし、マラソンでも60代の方もいらっしゃいますので、これからさらに記録を伸ばしていきたいです。

―銀メダルを取りましたが目標はまだ先にあるということですね

僕が車いす陸上を始めるきっかけを作ってくれた母は10年前に亡くなりました。その亡くなる3日前に兄に話した最後の言葉が、「勇気を世界につれていってくれ」だったんです。そこからか兄と二人三脚で練習して、今回の銀メダルにつながりました。
ですので、なんとしても、おかんのために金メダルとりたいと思っています。

―来年の神戸大会まで300日となりました。

(今回金メダルを許した)アメリカ勢へのリベンジに挑んで、神戸大会そしてパリパラリンピックでは金メダルを取りたいと思います。

―神戸大会の会場となる神戸ユニバー記念競技場は相性がいいコースだそうですね

ユニバー記念競技場はすごく走りやすく、記録も出やすい「高速トラック」です。
東京パラリンピック前の7月10日の兵庫選手権でも自己ベストでアジア新記録となる16秒75をマークすることができました。母親の命日だったのですが、来年の神戸大会ではさらに記録を伸ばして、母に捧げる金メダルを取りたいと思います。

―最後に、神戸大会をどんな大会にしたいですか

車いす陸上というのは競技人口がまだまだ少ない上、細かにクラス分けされるため、自分のクラスの選手が少なくなるとそのクラスが開かれなくなることもあります。ですので、障がい者の方、とくに若い子どもたちの世代には、「障がいのある自分たちでもこんな早く走れるんだ!」と、見る側からする側になってほしいので、そのきっかけの大会になってほしいです。

―その若い世代にとっては、大矢さんは大きな目標になりますね。

そうなればうれしいですね。自分も負けないよう頑張ります。

銀メダルを手にする大矢勇気氏

<プロフィール>
大矢勇気(おおやゆうき)
1981年、兵庫県西宮市生まれ。16歳のときにビルの解体の仕事中に転落して脊髄を損傷し、車いす生活に。その後、車いすバスケットを経て車いす陸上に出会う。兄と二人三脚で練習を重ね、パラリンピック初出場となった東京2020パラリンピックの陸上男子100メートル(車いすT52)で銀メダルを獲得。

放送/ラジオ関西「羽川英樹ハッスル!」2021年10月14日OA
インタビュアー/羽川英樹・大森くみこ

※掲載情報は2021年10月30日現在の情報です

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