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東京パラを支えた義肢装具士に聞く 国際大会の舞台裏で感じた多様性の力

●唐内健太氏のインタビュー動画(04:28)

パラアスリートの活躍に沸いた東京パラリンピックに、選手の義手や義足、車イスのメンテナンススタッフとして携わったのが神戸医療福祉専門学校三田校の専任教員の唐内健太さん。期間中、選手村の修理サービスセンターで、世界中から集まったスタッフたちとともに選手たちを支えた。パラリンピックの舞台裏で感じたパラ陸上の魅力について聞いた。

 

―東京パラリンピックではパラアスリートとともに、選手たちを支える義手や義足にも注目が集まりました。そうした義手や義足をつくるのが、義肢装具士の仕事ですね。

義肢装具士自体は国家資格です。医師の処方に基づいて採寸や型取りを行い、義手や義足を製作します。競技用はもちろん、日常生活で使うものも作りますし、例えばサポーターやコルセットを扱うのも我々です。ただ作って終わりではなく、作った装具がしっかり体に合うよう、患者さんと細かく確認しながら合わせていきます。

―ひとり一人、体格も違いますから、それに合わせないといけませんね。

モノづくりのイメージが強い職業ですが、コミュニケーション・スキルがとても重要な仕事ですね。

―唐内さんが義肢装具士になろうと思ったきっかけは?

小学校の時に、同級生で足が弱く金属製のサポーターをつけている子がいました。子ども心にずっと気になっていたんですね。あとは私自身も喘息で入院しがちで、病院の中で看護師や医者といった医療従事者の仕事に興味を持つようになりました。

そして中学校の時に初めてテレビで義肢装具士の仕事を目にして、小学校の時の同級生がつけていた金属は装具だったのかとわかって、自分でもああいうのを作ってみたいという気持ちが芽生えて義肢装具士を目指しました。

専門学校で出会った恩師の勧めもあり、医療現場ではなく「教える側」として、義肢装具士を養成する専門学校で教員をしています。

―普段は教員の唐内さんですが、今年の東京パラリンピックにサポートスタッフとして携わられました。

ドイツの福祉医療機器メーカーが世界24か国から集めた義肢装具士や車イスエンジニアなど約100人の技術者チームの一員として、8月29日から9月3日までの6日間参加しました。

車イスをメンテナンスする義肢装具士

選手村に設置された修理サービスセンターで車イスをメンテナンスする唐内さん(提供=唐内健太さん)


選手村の中で、選手が日頃練習したりしていく中で壊れることが多いんですね。ですので我々が詰めるサービスセンターには「あと30分後に練習だから、これをすぐ直してくれ」と車イスや義手・義足がどんどん持ち込まれてきました。時間との勝負の連続です。技術者チームは英語やそれぞれの母国語でコミュニケーションを図りながら、選手の要望を聞いて、速やかに修理、対応しなければいけませんでした。

―世界各国の選手の要望に応えるのは大変でしょうね

体格も違いますし、車イスや装具の規格も部品も違います。私自身、車イスは普段扱わないのですが、とにかく、チームで話し合って解決策を探りました。また競技に関わらない部分でも、例えば、開会式で旗手を務めるという車イスの選手から「一人の手では支えられないので何とかしてほしい」といった相談があり、チームで苦心したケースもありました。

―そうした選手村での経験で強く感じたことは?

先進国と開発途上国での格差と、多様性の強さです。やっぱり先進国の選手と開発途上国の選手とで装具が違うんです。洗練された装具を使っているのに比べて、途上国の選手の装具はここまで使い込むかと驚きました。

ですので、修理案件は様々で、マニュアル通りに対応するだけでは追いつかなかった。いろんな国のスタッフと身振り手振り含めて相談して、みんなの集合知、多様性があったから乗り切ることができたと思います。

選手村の中は、国も、肌の色も、障害も様々な選手やスタッフが行き交っていました。あの光景は忘れられません。

車の前で記念撮影するスタッフ4人

ドイツ、アメリカ、スイスなど欧米各国はもとより、中国、韓国などアジアからもスタッフが集結。多国籍チームでサポートにあたった(提供=唐内健太さん)

―パラスポーツの国際大会ならではの光景ですね。同じように多様性あふれる大会が神戸にやってきます。

パラスポーツは特徴のある競技が多くあります。そして、それに対するパラアスリートも、各々様々な工夫をして、挑戦しています。選手たちが躍動する姿を実際に見て、インスピレーションやアイデア、熱意を感じてもらいたいです。

まだまだパラスポーツは特別なものとして捉えられています。もっと一般的で身近なものになって、障害のある人もない人もみんなが一緒になってスポーツで汗を流す世の中になってほしいので、そのきっかけになればと思います。

―教える立場としての抱負はありますか

パラリンピックから学校に帰ってくると、やっぱり学生が「かっこいいですね」と話しかけてくれます。私が教えている学生の中から、パラスポーツの支援をしたいという人たちがいっぱい出てきてくれればと思っています。東京パラリンピックに参加するために入った神戸市外国語大学での英語の勉強はこれからも続けるつもりです。またいつか国際大会をサポートして、選手村で見た多様性にあふれた光景をもう一度見たいと思います。

 

<プロフィール>
唐内健太(とうない・けんた)
1987年、高砂市生まれ。神戸医療福祉専門学校三田校の専任教員として後進の指導にあたる一方で、北京パラリンピックにスタッフとして参加した恩師の影響もあり、東京パラリンピックにサポートスタッフとして参加。

放送/ラジオ関西「谷五郎の笑って暮らそう」2021年11月30日OA
インタビュアー/谷五郎、田名部真理

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