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「感動が神戸にやってくる」 増田明美会長開催1年前インタビュー

※公開時点(2021.8.25)の情報です。

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●増田明美会長のインタビュー動画(14:06)
 
2022年8月26日に開幕する神戸パラ世界陸上まであと1年を切った。東京パラリンピックも24日に開幕し、パラスポーツへの注目はいま高まっている。何をTOKYOからひきつぎ、神戸で花開かせ、未来へと発信するのか。大会組織委員会の会長を務める増田明美さんに、いまの思いを聞いた。

 

―いよいよ「神戸2022世界パラ陸上競技選手権大会」まで1年を切りました。日本パラ陸上競技連盟の会長として、大会組織委員会の会長として今の気持ちをお聞かせください。

増田 今、ちょうど東京パラリンピックで盛り上がってますね。この風を受けて、このままの勢いで神戸大会を迎えたいですね。今は原則無観客ですが、1年後、神戸で行われるときにはコロナが収束して、観客が入って、子どもたちがスタンドの最前列で見ている・・・・そんな風景を想像しながら、より盛り上がりたいなと思ってます。

―増田さんとパラスポーツの関わりはどういうきっかけなんでしょうか?

増田 選手の頃から自閉症の皆さんとか知的障がいの皆さんと週に1回走っていました。でもパラスポーツとしては、引退後の取材が始まりですね。北海道で、オリンピック選手の合宿を取材していたら、パラの選手達も競技場で練習していました。河川敷でも車椅子の選手が練習しているて、皆さんがとても明るくって面白いのです。いろいろお話を聞いているうちに、魅力に引き込まれましたね。

車椅子はすごいスピードが出て、その迫力、選手と車椅子との一体感が素晴らしいです。義足の選手は残された機能の鍛え方が半端ではなく、選手としてカッコイイ。

―増田さんもアスリートでいらっしゃいますから、その皆さんの気持ちっては誰よりもわかったのかもしれませんね。

増田 そういう意味ではね、パラ選手の心の強さって元選手の私以上ですよ。みんな事故にあったり、先天性の病気だったりして、それを克服しての競技者ですから、スタートラインに立つ前にひと山越えていますからね。

―困難を乗り越えて高みを目指してらっしゃるわけですもんね。

増田 オリンピックの選手がパラの選手の所作に学ぶということも少なくないんですよ。100m9秒95の日本記録保持者で、東京オリンピックにも出場した山縣亮太選手は、同じ大学の同級生に高桑早生選手というパラ走り幅跳び女子の選手がいて、高野さんというコーチも同じなんです。で、山縣さんは、「(ある機能を活かしきろうとする)高桑さんの体の動かし方から学ぶことは多い」と言います。

―お互いに刺激をしあって世界のトップ、頂点を目指してってことなんですね。そういう意味ではこの10年20年の間に、パラ陸上をはじめとするパラスポーツを取り巻く環境も大きく変わりましたよね。

増田 本当にそうですよね、元々パラスポーツは、障がい者のみなさんのリハビリから入りました。それが楽しむスポーツになって、競い合うスポーツになった。そして今や、アスリートとして頑張る姿を見て、多くの人が励まされている、そういう段階にきていますね。

―増田さんにとってパラスポーツの魅力ってどんなところでしょうか?

増田 魅力はね、やっぱり車イスの選手は車イスとの一体感があるから、技術者とチームになってがんばっている。また義足・義手の選手は、義肢装具士の方々との連携があり、視覚障がい者の選手たちは、伴走者と二人三脚なんですね。

視覚障がい者で、東京パラリンピックの女子走り幅跳びにも出場した高田千明選手のガイドで伴走してる大森盛一さんはアトランタ五輪の1600mリレーで5位入賞を果たした方。まさに“オリパラ”です。ほかにも上肢まひのマラソンの永田務さんは、日本の実業団チームの選手と合宿を行いながらどんどん強くなっています。みんながチームなんです。

―オリンピックの選手とパラリンピックの選手のアスリート同士の絆に、垣根ってないんですね。

増田 お互いに成長していけるのがすごく良くて、信頼関係を育みながら歩んでいます。視覚障がいの選手と伴走者の足がシンクロしている時など、その絆の深さに涙がこぼれることがよくあります。

―大会まであと1年です。どんな大会を目指していこうとお考えですか。

増田 神戸は港町で、いろんなものを取り入れてきた街ですよね。外に向けて開かれている、そういう文化がある中で、世界中から選手が集まる。ですので、選手の皆さんにとってストレスがない大会にしたいと思います。

やっぱり選手の皆さんってまだね、「競技場に行くまでで疲れてしまう」ということもあるのです。街のバリアフリー化が進んでない街だったら特にね。でも神戸はバリアフリー化も進んでますし、ユニバー記念競技場に来た選手の皆さんが最高のパフォーマンスをできるような大会にしたいと思います。

―増田さんと神戸の関わりも深いそうですね。

増田 神戸はとても想い入れがある街です。まず私のデビュー戦が神戸だったんです。今から40年前で大昔の話になっちゃいますけど(笑)、高校生3年生の時に、兵庫リレーカーニバルに出場しました。当時は王子の陸上競技場でしたね。あそこで5000mの日本記録を作ったんですよ。2位の選手に1周以上差をつけて。そしたらそれが神戸新聞の1面になってね。「すごい選手が現れた」って。それで試合のあとに生まれて初めて食べたしゃぶしゃぶの味は忘れられませんね。美味しかった。風見鶏の館もちょっと見に行ったのを覚えています。

ちなみに夫と初めてのデートも神戸に来たんですよ。異人館通りなんかも歩いてね。そんな大好きな神戸の街で世界パラが開催されるというのは本当に嬉しいです。

―そして現在開かれている、東京パラリンピックから引き継いでいくもの、そして神戸パラ陸上大会後につなぐもの。会長として思う、神戸大会のレガシーっていうのはどういうものなんでしょうか?

増田 神戸という多様性を受け入れてきた街で開かれる大会です。車椅子の選手もいる、義足、義手の選手、視覚障がい者の人もいる。そんな選手たちの素晴らしいパフォーマンスを見て、「みんな違って、みんなそれぞれにいいよね」って感じていただいて、多様性を受け入れることがより進んでいけばいいなと思っています。

―最後に、神戸の人たちにメッセージをお願いします。

増田 神戸で開催される世界パラ陸上で、選手の皆さんを一緒に応援しながら自分自分も元気になっちゃいましょう。

―ありがとうございました。

<増田明美氏プロフィール>
1984年ロサンゼルスオリンピック女子マラソン日本代表。現在はスポーツジャーナリストとして執筆活動やマラソン中継の解説等で活躍。パラスポーツにも深くかかわっており、日本パラ陸上競技連盟の会長も務める。

放送/ラジオ関西「PUSH!」2021年8月31日OA
インタビュアー/林真一郎

※掲載情報は2021年8月25日現在の情報です

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